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ウズベキスタン旅行記-高齢者の旅行意欲を実感

公開日:2024年01月17日 最終更新日:2024年01月17日

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古賀会長が昨年10月に中央アジアのウズベキスタンを訪問しました。その訪問記を会報に寄稿しましたのでアップします。
◎高齢者の旅行意欲を実感 ウズベキスタン訪問記
                                  古賀純一郎
 ツアーを利用して中央アジアのウズベキスタンへ昨年10月行ってきました。どこにある国か分かりますか。トルコの北方のカスピ海の東。孫悟空の登場する『西遊記』の三蔵法師が経典をインドで入手する際に立ち寄ったオアシスがサマルカンド。14世紀に軍事の天才ティムールが西アジアに及ぶ一大帝国を築き、都を置いた結果中央アジアの商業・学芸の中心として栄えた国と聞けばなんとなく分かったような気がするのではありませんか。市街地のあちこちにそそり立つブルーのタイルのまぶしい巨大なモスクが当時の栄華を伝えます。世界遺産が何と5つもあります。
 なぜウズベキスタンなのか。料金が高くなかったことに尽きます。コロナが鎮静化しはじめた半年前くらいから海外旅行のパンフレットが自宅へ郵送されてくるようになりました。どれも見てもコロナ前の倍の料金。うちましだったのがここでした。
 イスラム教の国はペルシャン・ブルーで知られるイランを筆頭に建物の外壁のタイルの「青」がとても印象的です。ドイツのペルガモン博物館にある紀元前6世紀のバビロンに建造されたイシュタル門の目の覚めるような鮮やかなブルーのあれです。
 ツアーは総勢23人。うち単身者が11人、カップルが6組でしたが、職場の同僚などでご夫婦は少数。私より年長の方が多く、平均年齢は70歳超。「鬼籍に入る前に世界を見てやろう」との鬼気迫る凄まじい意欲を感じました。
ツアーを企画した会社の努力が奏功したのか食事は邦人&年寄りに合わせた味で、おうどんを髣髴させる麵料理もありました。焼き鳥に似た羊の串焼きもまあまあ。プロフという炊き込みご飯もチャーハンを思い出させる味。地元産のビールも日本製に近く、何とか行けました。秀逸だったのはピザの生地を分厚くして焼いたようなパンでとても美味。私は2斤の普通のパンと黒パン計2つをスーツケースに忍ばせて帰宅しました。
 さて、旅の話をしましょう。お昼過ぎの成田発、ソウル経由で首都のタシケントに到着したのが午後8時過ぎ。ホテルで一泊し翌朝早朝に国内便でヌスクへ。ヒバ観光です。翌日訪れるブハラとおなじく聖都、16世紀からつい最近までヒバ・ハン国の首都でした。最終日が戻ったタシュケントでの観光でしたが、いずれも見学するのはお墓に当たる、内部が光り輝く黄金の装飾で眩しい廟、僧院のメドレセ、モスク(寺院)、ミナレット(塔)など。
驚いたのはその大きさ、巨大さ。ファインダーをみながら後ずさりしても全景が広角のカメラに入らない。当時の王の権力の壮大さを存分に実感しました。巨大な石を切り出し、運び、一体何日かけて建造したのかとつい計算してしまいました。エジプトのピラミッドほどの大きさではありませんが、とにかくデカい。外壁や内部の装飾も細やかで素晴らしい。
 通貨はスムで100円が1.2スム。91年にソ連から独立直後に猛烈なインフレが襲ったこともあって今なおドルが通用します。資本主義経済へ移行する92年のモスクワ訪問でホテル代をドルで支払ったことを思い出しました。
主要都市の道路はきれいに舗装されていましたが、国土の8割を占める砂漠・乾燥地の周りに点在する各都市を結ぶ幹線道路の酷さ、延々と続く車内の激しい揺れには閉口しました。サマルカンドや首都タシケント入りして驚いたのが日本車はもちろん邦人企業の出先さえも見かけません。勢いに欠ける最近の日本を肌で感じました。
対照的に起亜や現代ブランドの韓国車やサムスンなど韓国系企業の支店があちこちにありました。80%以上を占める米ゼネラル・モーターズ(GM)・シボレーのブランドの市内を走る乗用車も実は韓国と関係がありました。1990年代に大宇自動車がウズベキスタン政府と合弁で現地生産を開始したものの2001年の経営破綻でGMの傘下入り、合弁会社も新体制へ移行し、現在に至っています。選挙の票目当てに増発した国債を基にバラマキを続け、政治資金パーティ券収入のキックバックの自民党総汚染発覚でよれよれの岸田首相に「しっかりせんとあかんぜよ」と発破を掛けたくなりました。       (以上)

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